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『N・SAS試験』−N・SAS-BC01試験が見失ったもの−



『N・SAS試験』−N・SAS-BC01試験が見失ったもの−

                                  浅野 泰世


『N・SAS試験 日本のがん医療を変えた臨床試験の記録』という本が、今年の2月に出版されました。著者の小崎丈太郎氏は日経メディカルCancerReviewの編集長。著者は本書を、N・SAS試験全体を指揮した阿部薫国立がんセンター名誉総長と、乳がんの補助療法を対象としたN・SAS-BC01試験の研究責任者であった渡辺亨氏の発案により書かれた、この試験に「携わった人々の証言をもとに再構成したドキュメントである。」と述べています。

本書のストーリー
 N・SAS試験とは、当時汎用されていた抗がん剤UFTの効果を検証するために行われた臨床試験です。
 “欧米の進んだ臨床試験を日本に導入したN・SAS試験は、その後のがん化学療法の臨床試験の在り方を変えた。当時のがん医療の後進性がこの試験の遂行を阻んだが、この試験の実施はその後進性を変革し、日本のがん医療の近代化に大きな役割を果たした”というストーリーが本書には描かれています。                      
 この本には、もう一つストーリーがあります。それは、“試験に参加する患者の登録は困難を極めたが、実施した研究者の苦労の末に、UFTの有効性が証明された”というものです。登録が思うように進まなかった原因として、他のいくつかの問題とともに、当時世界の標準治療であったCMFとUFTを比べることは非倫理的であるとして、乳がんを対象としたN・SAS-BC01試験の中止を求めたイデアフォーの活動をあげています。
              
N・SAS-BC01試験が見失ったもの
 「しかしながら、経口剤であるUFTが当時の世界標準であるCMFと効果が同等だと考える医師はいなかった。阿部自身(研究班の総括責任者;筆者)もそのように感じていることもあり、大鵬薬品にとっては大きな経営判断が必要だったはずだ。」(p78)という本書の記述に衝撃を受けました。これが事実であれば、かつてイデアフォーがこの試験に反対する中で主張した通り、この試験を実施した人々が、UFTに割り付けられることになる被験者のリスクを最小限にする努力を行っていないと、自ら認めたことになります。しかも、そのことに対して、あれから10年以上の歳月を経て、臨床試験が倫理的に行われるようになったと考えられている今日においてさえ、彼らはもとより、この本の著者も少しも疑問を持っていないのです。
 「利他主義と信頼が人を対象とする研究の核心である。研究に自ら参加することで他者の健康の改善に貢献し、研究者は参加者のリスクを最小限にすると信じるが故に、利他的な個人は研究に参加する。研究を可能にする、こうした利他主義や信頼への返礼として、研究を倫理的に実施し、研究を正直に報告する義務が研究事業にはある。」これは、『ランセット』や『NEJM』など一流といわれる医学雑誌が参加する医学雑誌編集者国際委員会が、人を対象とする研究の結果が正しく役立てられるために、研究の事前登録を求めた声明の最初の部分です。(『臨床評価』2005;32(1):145-7)ここには、人びとの健康の改善に貢献するために、研究者を信じて研究に参加する人々がいて、人を対象にする研究(臨床試験)は可能になる。彼らの貢献と信頼に応えることが、臨床試験で最も大切なことだと述べられています。N・SAS試験が目標にした欧米の進んだ臨床試験は、このような高い理念に裏付けられているのです。
 N・SAS試験が、日本で欧米の基準に則った臨床試験をできるようにする試みであったとしても、この試験を押しすすめた人々は、形だけを真似て枠組みを整えようとしたけれど、本当に大切な欧米の臨床試験の理念を見失っているのではないでしょうか。本書の著者も然りです。

イデアフォーの活動の意味
 イデアフォーの活動の意味は、本書が述べる「医師と患者が世界の標準治療とは何かをめぐって対等に議論」(p171)しあったことにあるのではありません。臨床試験で被験者として参加する患者の人格の尊重が成されているかを、患者・市民の立場から初めて問い、その行動が新聞などで報じられ、患者や一般市民に知らされたことだと考えます。
 本書には、N・SAS試験を押しすすめた行政、研究者、医師、製薬企業の人々の姿が、生々しく描かれています。少なくとも、彼らはそれぞれの立場で、日本の現状を改善するために努力したのだと思います。彼らの立場では、N・SAS試験は正当なものと思えたのでしょう。しかし、この試験の中止を求めて活動したイデアフォーは、乳がんという病いを体験した市民として、他者のために臨床試験に参加するということの重さに、思いを馳せることができたのです。その思いから、被験者を非倫理的に扱い、将来の患者に貢献しない臨床試験は決して行われてはならないと考えたのです。
 臨床試験が人を対象にするということの重さを知り、臨床試験の本来あるべき姿を求めることができるのは、そして、求めなければなければならないのは、私たち一般の市民なのではないでしょうか。なぜなら私たちは、ある時は、臨床試験がもたらす医学の進歩による恩恵を享受し、ある時は、他者に医学の進歩による恩恵を与えるために臨床試験に参加する存在なのです。そして、そのような市民が臨床試験のあらゆる過程に参画し、あるいは監視することで、被験者の人格を尊重し、人々の健康の改善に寄与する臨床試験だけが行えるようになるのです。

 イデアフォーのN・SAS-BC01試験の中止を求める活動は、この国で倫理的にも科学的にも妥当な臨床試験が行われるようになることを願ってなされました。その思いは、現在のイデアフォーの活動に受け継がれているのです。


『イデアフォー通信88号』(2013年9月15日発行)に掲載


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